秋田県 能代鎮守 日吉神社

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2018年 02月 16日 ( 2 )

明治時代の紀行家 蓑虫山人 その②

「蓑虫山人全国周遊絵日記(秋田編)」

42歳で、東北地方に旅に出たという山人は61歳までの約20年の間,毎年のように東北を旅しています。
「羽後国雪道の図」
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生活用具一式を背負い、九州から中国、近畿、東海、関東、東北と全国を旅した山人は、考古学にも深い関心を持っていました。
「秋田郡七座発掘の図」
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「縄文縄の化石」
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「発掘品」
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旅の途中、村の鎮守様も立ち寄っています。
「横手神明社」
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「旭岡山神社の祭」

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「大平山三吉神社」
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そして、男鹿、八竜、五城目と北上し能代に入ってきたようです。
「能代港風景」
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それでは、この続きはまた、明日!


by noshirohiyoshi130 | 2018-02-16 21:07 | 文月の社務日誌 | Comments(0)

蓑虫山人 再び

2年前の2月にこのブログで”明治時代の紀行家 蓑虫山人①”として ご紹介し・・・
それっきりになっていましたが・・・
漸く、続きをご紹介致します。
もう、すっかり忘れてしまったと思うので、まず今日は平成28年2月のブログをもう一度ご覧下さい。
天保7年(1836年)美濃国に生まれた”土岐源吾”という人。
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幼少の頃より”蓑虫”と号し、山間に入り人々はこの人を”仙人”と称しました。
40数年に亘り全国隈なく旅をした天衣無縫な自由人、蓑虫山人は晩年の多くを東北地方で過ごし、沢山の絵を残しています。

特に秋田県では、扇田村の麓家、小池村の千田家、大久保の高橋家、そして能代の坂本家(日吉神社宮司宅)に度々滞在したと言われます。
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昭和54年に限定発行された「蓑虫山人全国周遊絵日記 秋田編」には、およそ180枚の絵が残されています。

冒頭にあるのは、
「蓑虫山人自画像 自適悠々の図」(比内町扇田 徳栄寺所蔵)
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これが麓米南が記した「蓑虫山人笈之図」の文面。
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還暦を迎えた山人はこの自画像と笈を残して、扇田から帰郷の途につきました。
明治29年1月のことです。
これが山人の愛用の「蓑虫山人の笈と笠」
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さて、42歳で東北地方を訪れたという山人。
愈々、能代にやってきたようです。
まずは、「能代港風景」
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「能代港七夕の図」
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拡大する、こんな感じ・・・
現代の七夕とは、随分感じが違いますね。
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「能代港山本倶楽部」今の、金勇ですね。
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そして・・・
「能代港坂本左源太方滞在の図」
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坂本左源太は、現在の日吉神社宮司から遡ること四代前の宮司。
戊辰戦争では、神職やマタギを率いて騎兵隊を組織し、神出鬼没の戦を挑んだという人物。
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今日はさらっと雪が降りました。
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江戸時代から、ここにある狛犬は蓑虫山人と左源太が語り合うのを見つめていたのでしょうね。
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そして、この栃の木も・・・
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そんなことを考えると、なんだかとても不思議な気持ちになります。

蓑虫山人の絵は更に「君待坂」「七倉天神社」「阿仁川上る図」などと続きます。
この続きはまた、今度!
私ももうちょっと詳しく蓑虫山人について勉強してみます!

by noshirohiyoshi130 | 2018-02-16 20:01 | 文月の社務日誌 | Comments(0)