平成29年の役七夕は上町組を当番丁として行われました。
8月6日 7日は快晴に恵まれましたが、猛暑の二日間でもありました。
古より七夕は、夏越の祓のために形代を流すことに始まったと言われます.
"ねふりながし”は夏の眠気を覚まし、秋の豊作を祈願する大切なお祭りでした。
もともとは子供たちの星祭の行事であったとも言われ、一晩中太鼓笛を鳴らして街を練り歩き、翌朝に川で禊をしたと言われます。
今のような城郭灯篭を抱くようになったのは、天保期から。
清助町の宮大工 宮越屋嘉六が名古屋を摸して作ったのが始まりと言われます。
日吉神社の祭典でも関係の深い五丁組の輪番制で行われ、灯篭の数も回るコースも毎年変わります。
シャチの形も色もそれぞれ・・
役七夕は礼節を重んじる伝統行事です。
引手や太鼓、笛や田楽の若者は威勢よくワッセワッセと動きますが・・
解散式ではお互いへの感謝、ねぎらいを忘れません。
7日の夕方、シャチだけが台車に乗せられ、米代川へと向かいます。
漆黒の川面に四基のシャチが浮かびます。
笛や太鼓の音が響き渡り、提灯の明かりが揺れる中、小舟に乗った松明の灯りが近づいていきます。
一瞬の静寂 あたりは闇に包まれ・・・点火です。
笛の音が、哀愁を帯びた音に変わります。
日吉大神様の御神霊をいただいた御幣束が、最後までゆらゆらと漂っていました。
これから再び元の地へ戻り、解散式が行われます。
二日間でどのくらいの距離を歩いたのでしょうか?
疲れているけれど、田楽の小学生の子供たちも、大人に負けず頑張ってついて行きます。
この子供たちが間もなく笛や太鼓を叩き、引手になり伝統を守っていってくれることでしょう。
解散式では、お互いの協力に感謝し合い、幾度も幾度も挨拶が繰り返されていました。
それぞれの会所に戻っても、まだ名残惜しそうに笛や太鼓が響きます。
小学生の男の子に「来年もやる?」と、尋ねたら・・
「うん、来年もやるよ!」と、元気な声が返ってきました。
二日間の役七夕を見守ってくれたかのように、天空には大きなお月様が浮かんでいました。