天保7年(1836年)美濃国に生まれた”土岐源吾”という人。
幼少の頃より”蓑虫”と号し、山間に入り人々はこの人を”仙人”と称しました。
40数年に亘り全国隈なく旅をした天衣無縫な自由人、蓑虫山人は晩年の多くを東北地方で過ごし、沢山の絵を残しています。
特に秋田県では、扇田村の麓家、小池村の千田家、大久保の高橋家、そして能代の坂本家(日吉神社宮司宅)に度々滞在したと言われます。
昭和54年に限定発行された「蓑虫山人全国周遊絵日記 秋田編」には、およそ180枚の絵が残されています。
冒頭にあるのは、
「蓑虫山人自画像 自適悠々の図」(比内町扇田 徳栄寺所蔵)
これが麓米南が記した「蓑虫山人笈之図」の文面。
還暦を迎えた山人はこの自画像と笈を残して、扇田から帰郷の途につきました。
明治29年1月のことです。
これが山人の愛用の「蓑虫山人の笈と笠」
さて、42歳で東北地方を訪れたという山人。
愈々、能代にやってきたようです。
まずは、「能代港風景」
「能代港七夕の図」
拡大する、こんな感じ・・・
現代の七夕とは、随分感じが違いますね。
「能代港山本倶楽部」今の、金勇ですね。
そして・・・
「能代港坂本左源太方滞在の図」
坂本左源太は、現在の日吉神社宮司から遡ること四代前の宮司。
戊辰戦争では、神職やマタギを率いて騎兵隊を組織し、神出鬼没の戦を挑んだという人物。
今日はさらっと雪が降りました。
江戸時代から、ここにある狛犬は蓑虫山人と左源太が語り合うのを見つめていたのでしょうね。
そして、この栃の木も・・・
そんなことを考えると、なんだかとても不思議な気持ちになります。
蓑虫山人の絵は更に「君待坂」「七倉天神社」「阿仁川上る図」などと続きます。
この続きはまた、今度!
私ももうちょっと詳しく蓑虫山人について勉強してみます!