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秋田県 能代鎮守 日吉神社

役七夕御幣束授与祭

日吉神社の社守猫”フーちゃん”です。

3日連続の真夏日が続き、昨日は最高気温33,1℃を記録。
今日も朝から、暑いです。
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10時から役七夕の御幣束授与祭と安全祈願祭が行われました。
浴衣姿に提灯を持った男衆がやって来ました。
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今年の当番丁は”上町組”で、 ”上若””畠若””畠新若””東若”の4若で、8月5日に4基の七夕灯篭が繰り出します。
そして6日には米代川で、鯱を燃やして川に流す”流し”が行われます。

フーちゃんは、宮司さんに”能代の役七夕”についてお話を聞いて来ました。
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『七夕の起源は、阿倍比羅夫や坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に、灯篭を流して敵を威嚇したとか、炎暑の眠気を覚まし、疫病祓いの為に灯篭を燃やしながら流したとか、秋の豊作を祈る祭である、とか色々な説があります。

江戸時代の文献”代邑見聞録”に依れば、七夕は”ねふ流し”と呼ばれ、子供達の行事だったことが分かります。

”ねふねふ流れ 豆の葉とまれとまれ”と囃し、太鼓・鉦・笛を吹き鳴らし、一晩中町を巡り、朝になると水に入って禊をしたと、書かれています。
その頃は、神輿のように肩に担いで運行したと思われます。
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又、他の文献に依っても、灯篭に今のように決まった形はなくて、屋台人形のようなもので、毎年趣向を凝らし、製作していたようです。
その高さは段々大きくなって行き、天保13年「奥の枝折」では、17,5メートルと書かれています
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この頃に清助町の大工 宮腰屋嘉六が作った名古屋城を模した城郭灯篭が登場し、好評を得て定着していったそうです。

鯱が今みたいに大きくなったのは、戦後電話線が引かれ、鯱の折りたたみ方式が取られて、次第に城郭部分が縮小し、鯱が大きくなっていったと考えられます。』

宮司さんのお話を聞いている間に、フーちゃんは、いつの間にか眠ってしまっていました。
そして、夢を見ていました。
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今から3年前の”清助町組”の七夕です。
清助町組の七夕だけが、日吉神社へお参りするのです。
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夕方になると、何処からか笛の音が聞こえてきます。
子供たちが七夕囃子を練習しているのでしょう。

能代の人達は、とにかく七夕が大好きなんです。
Commented by かごやのひろし at 2012-08-03 08:20 x
貴重な昔のたなばたの絵をご紹介くださり、ありがとうございました。電線のなかった時代、たなばたは高かったのですね。どこか五所川原のたちねぶたににてます。起源をおなじくするかもしれませんね。それにくらべ最近のたなばたはほんとうに頭でっかちです。それはそれでとても美しいです。子供のころ、太鼓の音が聞こえてくると家の中にじっとしておられませんでした。
by noshirohiyoshi130 | 2012-08-01 22:16 | 文月の社務日誌 | Comments(1)